ルーマニアの5lei札に描かれているジョルジェ・エネスクという人物をご存知ですか。
ジョルジェ・エネスク(1881-1955)は、ルーマニア出身の有名な作曲家、バイオリニスト、ピアニスト、指揮者、音楽教師です。彼はルーマニア北東部にあるボトシャニ県のリヴィニ-ヴルナヴ村に生まれました。
小さい頃から音楽の才能を発揮していたジョルジェは、4歳でバイオリンを始め、5歳でピアノとバイオリンのためのオペラの楽曲『Țara Românească』を作曲し、13歳(1894)で『ルーマニア詩曲(Poema Română)』を作曲しています。
父親はジョルジェを5歳から作曲家エドワード・カウデラの元で勉強させました。7歳から13歳までウィーン音楽院に留学し、ヨーゼフ・ヘルメスベルガーからヴァイオリンをロベルト・フックスから作曲法を学びました。
その後、14歳から18歳までパリ音楽院で学び、1898年、13歳で作った『ルーマニア詩曲(Poema Română)』でパリのコンサートで作曲家としてデビューしました。
同じ年、ブカレストでバイオリンを教え始めたりリサイタルをし始め、ルーマニアのエリザベータ王妃に称賛され、ジョルジェはシナイアのペレシュ城でヴァイオリンの演奏に招かれました。王妃のためにいくつか歌曲をドイツ語で作り、彼は王宮のお気に入りとなり女王の音楽の夕べに常連として参加しました。
20世紀の初め『ルーマニアン・ラプソディ(Rapsodia Română)』など管弦楽曲を作ったり、ルーマニアやパリで音楽活動を精力的に行いました。
1915年にブカレストで第一回ジョルジェ・エネスク作曲家コンクールが開催されました。第一次世界大戦後にはアメリカでもコンサートを行ったり、『オイディプス王(Oedip)』などの作品を次々生み出すだけでなく、音楽教育も熱心に行っていました。
第二次世界大戦がはじまると、祖国ルーマニアのために10万レイを国に寄付しました。大戦中はほかの音楽家と共に創作活動に専念し、戦争が終わるとブカレストやシナイアでコンサートを行いました。
戦後共産主義体制が確立するとジョルジェはパリに亡命しましたが、1949年まではルーマニアの作曲家協会の会長を務めていました。
1955年にパリでその生涯を終え、パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されましたが、きっと彼は祖国ルーマニアをずっと愛し続けていたことでしょう。
そして忘れてならないのは・・・
ジョルジェ・エネスクの功績を称えて彼の名前が付けられた音楽の祭典『ジョルジェ・エネスク音楽祭』です。
この音楽祭はルーマニアの首都ブカレストで1958年から2年に一度、約三週間にわたり開催される東ヨーロッパ最大の音楽祭です。このジョルジェ・エネスク音楽祭には世界で著名な音楽家やオーケストラなどが多数参加します。音楽祭の期間中、ブカレスト市内にあるいくつかの劇場や音楽堂では毎晩コンサートが開催されており、人々は素晴らしい音楽に魅了されています。
次回の開催年やプログラムなどの詳細はサイトをチェックしてみてください。