ルーマニアといえばユネスコ世界遺産に登録されているブコビナ地方の『五つの修道院』やマラムレシュ地方の『木造教会』がとても有名で、五つの修道院は15~16世紀頃、木造教会は17~18世紀頃建立されました。
しかしルーマニアのトランシルバニア地方南部にはもっと古い教会があるのをご存知ですか?
まずはルーマニアの歴史と宗教について少しご紹介いたします。
その昔、現在ルーマニアが位置する場所にはダチア王国という国がありました。首都はサルミゼジェトゥーサ(現:サルミゼジェトゥーサ・レジア (Sarmizegetusa Regia))。デチェバル (在位87~106年) が国王の時、トライアヌス皇帝率いるローマ帝国がダチア王国を征服し、デチェバルは自害。そしてダチア王国はローマ帝国の属州となり、トライアヌス皇帝により首都をウルピア・トライアナ・サルミゼジェトゥーサ (現:サルミゼジェトゥーサ (Sarmizegetusa)) に遷都しました。その後、蛮族による侵入で271年にローマ軍がローマへと引き上げるまで属州として存続していました。
現在、ルーマニアの国教は東方正教で、国民の85%がルーマニア正教徒と言われています。 しかし、古代よりダチア王国の時代は多神教で、自然や天候、人々の行いには神の力が宿るという考えられていました。そのため、ダチア王国の首都サルミゼジェトゥーサにも、トライアヌス皇帝が遷都させた首都ウルピア・トライアナ・サルミゼジェトゥーサにも神々を祭る神殿がありました。
ローマ帝国に徐々に浸透し始めたキリスト教は属州ダチアの人々にも広がっていましたが、そもそもローマ帝国において国教としてキリスト教が定められたのは392年、テオドシウス帝の時代です。
では、いつ頃どのように東方正教が浸透していったのでしょう。
東西教会が分離したのは11世紀の事ですが、東方正教の基礎を作ったビザンチン帝国のユスティニアヌスI世皇帝がドナウ川まで勢力を拡大した時代(6~7世紀)だといわれています。ユスティニアヌスI世はルーマニアの地に宣教師を送り、布教活動を行いました。その後、ドナウ川南部に建国された第一次ブルガリア帝国のボリスI世が正教に改宗し、その次の第二次ブルガリア帝国の統治がドナウ川北部まで広がっていた時代、コンスタンティノープルの教会は古代教会スラヴ語とキリル文字を使って、ダチアの古いキリスト教の教会を再度建て直すことに精力を注ぎました。
この頃建てられた教会の特徴は、ダチア王国やローマ帝国属州時代の遺跡を使用していることです。
ダチア王国やローマ帝国属州時代の遺跡を使った珍しく貴重な教会。あなたもルーマニアの歴史に触れてみませんか。